2005年10月15日
神よ、変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの心の落ち着きを与えたまえ。
変えることのできるものについては、
それを変えるだけの勇気を与えたまえ。
そして、変えることのできるものとできないものとを見分ける知恵を授けたまえ。
(ラインホルト・ニーバー / 神学者)



先日、「選択」か「運命」か、という問題提起をしておきました。

 私たちは自らの自由意志で物事を選択しているのか?
 それとも自由意志は幻想であって、実は全ては予め決まっているのか?

これを見ているみなさんはどう思われますか?
各々の考え方や感じ方があると思います(それが重要なんですが)

結論から言うと、私は「運命論者」です。
意外かもしれませんけど。
自由意志を否定するわけではないですよ。
ただ、自由意志ですら環境によって決定付けられていると考えるんです。

「今、この瞬間に僕は何だって選択できる」

このように意見する人ももちろんいるでしょう。その通りです。
けど私の哲学(偉そうに言い切ってしまった 笑)の重要なポイントは
「全ては過去でしかありえない」
ということなんです。
過去になされてきた膨大な選択を思い返してみてください。
誰と会うか、何を話すか、どこに行ったか…
そして問うてみて下さい。他の選択肢がありえましたか?
悩んだすえに選んだ選択肢があります。
悩んだ末のあなたはもう一つの選択を取れましたか?
自分の選択に後悔をしているんでしょうか?

『過去、自分が行ってきた選択は正しかったのだ』と。
これしか取りようがなくて、その選択の結果、今の自分があるんだと
考えるようにしています。

そうすると過去は単なる運命の蓄積になって…なんていうのかな
機械的なイメージに変わるから。

今、こうやって文章を書いています。
この行動を選択できるでしょうか?
どうしても書きたくて書いています。

映画「Matrix」は私が必要としていた一つの答えでした。
システムの中で、ネオはいわば「救世主にさせられた」。
全てはアーキテクトとオラクルがしくんだことです。
最後にスミスがとても重要なことを言っています。

・全ての生物の目的は、死ぬことだ
・感情は不完全な人間の知性が生み出した幻だ(マトリックスと同じく虚構だ)

生物が死ぬことって、マトリックスのアナロジーで言うと「プログラム」なんですね。
プログラムは決定されたものということでつまりは運命です。
だからネオは救世主かもしれませんが、救世主としての運命からは絶対に逃れられない。
死なない人がいないのと同じように。

だからネオが唯一できたことは「選択したことを受け入れる」ということなんです。

あの映画って最後まで見ると「ネオが救世主を"選択"したこと」が
重要なことに見えるかもしれません。けど、違いますよ。たぶん。
これについてはオラクルがこう言っています

「違う。あなたはすでに選択している。あとは、理解するだけ」

これが私の考えです。
もう一度問います、「選択は幻想か」?
posted by Azot at 10:17 | 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | -日記-
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