2005年10月29日
ひょっとしたら勘違いしているかもしれないけど、
僕はある部分においてニーチェの哲学が理解できる。
それは「人生の不条理さを受け入れる他はない」ということだ。

それはつまり、
「人生に意味があっても、仮になくても、
 それはそういうものとして受け入れましょう」
ということ。
まず初めに事実ありき、そして解釈が始まる。


今回はマンガや歌から考えてみたいと思う。


 ずぅっと、考えていた
 わたしは何のためにこの世に生まれてきたのかと
 1つ疑問が解けるとまた次の疑問がわいてくる
 始まりを求め、終わりを求め、
 考えながら、ただずっと歩いていた
 どこまで行っても同じかもしれない
 歩くのをやめてみるならそれもいい
 すべての終わりが告げられても、「ああ、そうか」と思うだけだ
 しかし、今日また1つ、疑問の答えが出た…
 (寄生獣より)


このセリフは考え深くて好きです。
一番好きなのは「ああ、そうか」という箇所。
別に答えや終わりを求めて生きてるんじゃあないんですよ。
だから答えが出ても驚かない。
重要なのは、意味があるのはおそらくその過程なんです。
1つ1つ前進してゆくその過程です。


次はミスチルの「天頂バス」という曲。
この歌詞の中で、

 トンネルを抜けると
 次のトンネルの入り口で
 果てしない闇も 永遠の光も ない


という箇所があります。これも似てますね。
人生というのは、単にトンネルの連続であって
それ以上でもそれ以下でもないんです。


最後は、誰もが知るあの歌。実は、哲学なんです。

 そうだ うれしいんだ
 生きる よろこび
 たとえ 胸の傷がいたんでも
 なんのために 生まれて
 なにをして 生きるのか
 こたえられないなんて
 そんなのは いやだ!
 今を生きる ことで
 熱い こころ 燃える
 だから 君は いくんだ
 ほほえんで
 そうだ うれしいんだ
 生きる よろこび
 たとえ 胸の傷がいたんでも
 (アンパンマンマーチより)


これも(解釈次第ですが…)答えを求めるために生きてるという感じでは
ないと思っています。
今を生きること、それ自体を「嬉しいこと」と表現していますよね。
「答えられないのは嫌だ」=「答えがないからダメだ」ではなく、
誰しもが答えを持っているはずだというメッセージが感じられなくもないです。

うーん、やっぱり、生きる意味は過程にこそあるんですね。
僕はそう考えます。
posted by Azot at 02:53 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
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