2006年05月30日
この数年、大きく進化したと思う。
特に、自分の能力に関してはポジティブに考えるようになった。
「自分にはできない」とは考えなくなってきた。

けれどどうしても一つだけ、ネガティブに考えてしまうことがある。
それは過去だ。
「過去は変えられない」この悩みだけは全然消えない。

映画「タイムマシン」の主人公も似た思いに取り付かれていた。
それは「what if..(もし、こうだったら?)」だ。

よく「過去を懐かしむ」なんて人は言うけど
僕にとっては過去なんて悲しむものであり、憎むべきものであり
絶望するものなのだ。

昔から「時間」に関することには興味が合った。
映画「バックトゥザフューチャー」を初めとするタイムトラベルものに魅せられた。
そしていつしか大学で物理を学ぶようになって、時間を少し学問として
考えるようにもなった。
エントロピーの法則とかね。どうやらいわゆる「時間の矢」については
エルゴート仮説が関係しているらしい。

けど、物理は結局自分が知りたいことを教えてはくれなかった気がする。
勉強にはなったけど。

次第に僕は「記憶」や「運命」とかに惹かれるようになってゆく。
全ては決定されているのではないか?
僕らは、それをなぞって生きているだけではないのか?
そしたら自由意志はどうなる?


中島義道さんの「後悔と自責の哲学」という本を買った。
この本で出てくる彼の考え方にはかなり共感を持てる。
興味のない人からすれば単なる思想の羅列や言葉遊びにしか見えないかもしれないけど
彼が「過ぎ去ったことを悔やむ」ことを哲学的問題だと捉えていることが嬉しい。

哲学は問いから始まる。
これは、立派な哲学的問いだ。
僕は何年もこの問題に取り組んでいる。

posted by Azot at 11:21 | 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2006年03月26日
3月26日。

またこの日がやってきた。
3年前、まさにこの日に大学〜大学院時代を過ごした
熊本を去りました。

この日は、最後にみんなで鍋をした日です。
引越し直前の部屋で。
様々な思いが交錯していた日。特別な日です。
二度と戻れない日。
記憶は死にません。
目を閉じればすぐそこにあるのに、永遠に届かない。

 あの時には帰れない
 過ちさえ 戻せない
 (LunaSea / Precious..)


それは過去とも呼べない。
言語化されたものとして今も"そこ"にある。

どこだ?
どこにある?


 そして目覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている
 (海辺のカフカ / 村上春樹)


-----------------------------


久々にRUIの「月のしずく」を聴いている。
posted by Azot at 23:49 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2006年02月17日
ずっと昔から、圧倒的なものを求めていた。
まるでドラマか小説の主人公のように、キュウリのようにクールで
劇的な人生を望んでいた。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に出てくる間宮中尉のように
井戸の底から見た、ほんの一瞬の太陽を求めるように。

彼は「これを見るのが自分の人生の全てであった」と述べている。

人生において、「これだ!」と確信する瞬間なんてあるんだろうか?
このためにこれまで生きてきたんだと思うような瞬間はあるんだろうか?
ひょっとしたらそんな想いを過去と未来に探そうとしているのかもしれない。今を見ずに。


大好きな哲学者、キルケゴールはこう言う。

『人生は、後になってみないと理解できないものである。
 だが、私たちは前向きに生きなくては ならない』

しかし後になって理解しても遅いのだ。
過去には戻れないのだから。
我々は皮肉な存在でしかない。

過去には戻れない
過去には戻れない
こんなことをずっと考え続けて、もう何年も経つ。
運命が知りたい。
自分が何を得ることになるのかが知りたい。
自分で選択するのに。
僕は皮肉な存在でしかない。

人生において、「これだ!」と確信する瞬間なんて、いつ来るの?
今までは幻想に過ぎない。
posted by Azot at 01:50 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2006年01月02日
 これは「試練」だ。
 過去に打ち勝てという「試練」とオレは受けとった。
 人の成長は…未熟な過去に打ち勝つことだとな…
 過去は…バラバラにしてやっても石の下から…ミミズのようにはい出てくる
 (JOJOの奇妙な冒険 第5部より)


友人が辛い局面を迎えている。
もちろんその痛みは、類推するより他はないんだろうけど。

そして僕も思い出す。もう4年前の記憶だ。
すべてはなるようになると思うしかなかったし、
実際、なるようになった。
必死に運命だと言い聞かせた。
どこかに答えを見出すために時間と記憶について哲学的に考え出した。
4年間の思い出を乗り越えるためには、4年間を必要とする。
一朝一夕で乗り越えられるものではないのだ。

否。そんなことはない。

過去は過去として、然るべきありようと僕の個人的な解釈で
しっかりと僕のすぐ後ろにそびえ立っている。
自分の歩いてきた痕跡を消せるものか。
一生背負ってゆくしかないのだ。

戻れないし、逃れられない。


------------------------------

ところで。
久しぶりにゆっくりと「記憶」について考えているが、
昔からどうしても不思議に思うことが一つある。
記憶の細部より、全体像を覚えていることがある。
例えば…「具体的には説明できないけど、とにかく楽しかったという思い出」
というものがある。
「説明できないけど楽しい」って一体どういうことなんだろう??
同じように、はっきり思い出せないけど、懐かしいとか
あの頃は大変だったけど、今はいい思い出、とか。
一体どういうことなんだろう??こんなことが不思議でしょうがない。

村上春樹の「ノルウェイの森」の冒頭においても、主人公が直子について
思い出すときは周りの風景などから思い出すと書いてあった。
そんな感覚に近いのかもしれない。

記憶は不思議だ…。
posted by Azot at 02:19 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年11月30日
BillyJoelはあのKANが最も影響を受けたアーティストとして知られているが
僕も代表曲「Honesty」はさすがに知っている。

けど歌詞の内容までは知らなかった。


If you search for tenderness
It isn't hard to find
You can have the love you need to live
But if you look for truthfulness
You might just as well be blind
It always seems to be so hard to give

CHORUS
Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
Honest is hardly ever heard
And mostly what I need from you


I can always find someone
To say they sympathize
If I wear my heart out on my sleeve
But I don't want some pretty face
To tell me party lies
All I want is someone to believe


CHORUS


I can find a lover
I can find a friend
I can have security
Until the bitter end
Anyone can comfort me
With promises again
I know, I know


When I'm deep inside of me
Don't be too concerned
I won't as for nothin' while I'm gone
But when I want sincerity
Tell me where else can I turn
Because you're the one I depend upon


CHORUS


優しさを探しているなら すぐに見つかると思うよ
生きるのに必要な愛くらい見つけられる
でも真実を探しているなら 目が見えなくなっても同じかもね
そんなものはありはしないのかも知れない

誠実ってなんて寂しい言葉だろう 誰もが不誠実じゃないか
誠実なんて言葉はほとんど聞かないから 君には誠実であってほしいんだ

誰かを見つけることならできるよ 同情してくれる誰かならね
腹を割って話せばいいだけさ
可愛い顔の娘なんていらない 嘘をつくんだったらね
信じられる人が欲しいのに

誠実ってなんて寂しい言葉だろう 誰もが嘘をついているのに
誠実なんてめったにお目にかかれないから 君には誠実でいてほしいんだ

恋人を作るなんて簡単さ 友人を作るのもね
安心して生きることもできる 苦い終わりが来るまでは
誰だって僕を慰めてくれる 約束することによって
それは分かってるんだ 分かっているんだけど…

僕が考え込んでいる時 気にしなくていいからね
そんな時は何もいらないんだから
でも真心が欲しくなった時 僕にどうしたらよいのか教えてほしい
僕は君だけが頼りなんだ

誠実ってなんて悲しい言葉だろう みんな誠実ではあり得ないから
誠実なんてめったにあり得ないから 君には誠実でいてほしいんだよ
posted by Azot at 01:28 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年10月29日
ひょっとしたら勘違いしているかもしれないけど、
僕はある部分においてニーチェの哲学が理解できる。
それは「人生の不条理さを受け入れる他はない」ということだ。

それはつまり、
「人生に意味があっても、仮になくても、
 それはそういうものとして受け入れましょう」
ということ。
まず初めに事実ありき、そして解釈が始まる。


今回はマンガや歌から考えてみたいと思う。


 ずぅっと、考えていた
 わたしは何のためにこの世に生まれてきたのかと
 1つ疑問が解けるとまた次の疑問がわいてくる
 始まりを求め、終わりを求め、
 考えながら、ただずっと歩いていた
 どこまで行っても同じかもしれない
 歩くのをやめてみるならそれもいい
 すべての終わりが告げられても、「ああ、そうか」と思うだけだ
 しかし、今日また1つ、疑問の答えが出た…
 (寄生獣より)


このセリフは考え深くて好きです。
一番好きなのは「ああ、そうか」という箇所。
別に答えや終わりを求めて生きてるんじゃあないんですよ。
だから答えが出ても驚かない。
重要なのは、意味があるのはおそらくその過程なんです。
1つ1つ前進してゆくその過程です。


次はミスチルの「天頂バス」という曲。
この歌詞の中で、

 トンネルを抜けると
 次のトンネルの入り口で
 果てしない闇も 永遠の光も ない


という箇所があります。これも似てますね。
人生というのは、単にトンネルの連続であって
それ以上でもそれ以下でもないんです。


最後は、誰もが知るあの歌。実は、哲学なんです。

 そうだ うれしいんだ
 生きる よろこび
 たとえ 胸の傷がいたんでも
 なんのために 生まれて
 なにをして 生きるのか
 こたえられないなんて
 そんなのは いやだ!
 今を生きる ことで
 熱い こころ 燃える
 だから 君は いくんだ
 ほほえんで
 そうだ うれしいんだ
 生きる よろこび
 たとえ 胸の傷がいたんでも
 (アンパンマンマーチより)


これも(解釈次第ですが…)答えを求めるために生きてるという感じでは
ないと思っています。
今を生きること、それ自体を「嬉しいこと」と表現していますよね。
「答えられないのは嫌だ」=「答えがないからダメだ」ではなく、
誰しもが答えを持っているはずだというメッセージが感じられなくもないです。

うーん、やっぱり、生きる意味は過程にこそあるんですね。
僕はそう考えます。
posted by Azot at 02:53 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年10月13日
今日はこの問いに自分なりに答えてみます。
けど実は簡単な答えなんです。
まず、答えから書きますね。

『人生に意味は、あります。けど、あなたにとってどうかはわかりません』

です。
なぜならこの質問はおそらく自分の中に向けられた質問となるからです。
各々が答えを持っているものなんじゃないでしょうか。
ここで一つ誤解を解きますね。
答えを出すものだとは言ってません。出すべきだとも言ってません。
答えがないならそれでいいんじゃないですか?

ここを一番伝えたいのでもう一度書きます。
「答えは人それぞれ持っているもの」
と言いたい訳ではないんです。

人生に意味を見出す人もいる。
肯定的に捉える人も、否定的に捉える人もいる。
意味を見出せない人もいる。どれも正しいのです。
その全て真実。ミスチルの「Any」みたいですね。
だからそれ以上でもそれ以下でもありません。

ちなみに私は「人生に意味がある」と肯定的に捉えます。
重要なのは、なぜ私がそのように考えるか、なんです。
それはそっちのほうが「楽」だからです。
私の物事を考える際の基本理念があります。
『人は楽なほうに流れる』
これです。実はこのことに関してはかなりの確信を持ってます。
先ほど、「肯定的に捉える人も、否定的に捉える人もいる」
と書きました。なぜか?そのほうが楽だからなんです。
肯定的な人は否定的な発想をする人が信じられないでしょう
けど、その人にとってはそっちのほうが楽なんです。きっと。
となると重要なのは「自分にとってどっちが楽か?」を見極めることです。
村上春樹の作品にもありました。

「うまいとか下手とか、器用だとか器用じゃないとか、
 そんなのはたいして重要じゃないのよ。
 私はそう思うわ。注意深くなる―それがいちばん大事なことよ。
 心を落ちつけて、いろんなものごとに注意深く耳を澄ませること」
 (スプートニクの恋人 より)


想像してみてください。
ある選択肢が目の前にあります。
ある選択を選ぶか、選ばないか。
あなたは決断を迫られます。
しかし仮にあなたが「選べなかった」としても
それは「選ばなかった」というだけのことです。
選ぶより選ばないほうが楽だったんですよ。
目の前の相手に何かを伝えたい。
けど言葉が上手く出てこない。
結果、何も言わなければ初めから何も言わないのと一緒です。
下手なことを言うより言わないほうが楽だったんですよ。


話が脱線しかけてますけど(笑)
ともかく私が言いたいことは、人は誰でも勝手に何かを選択していて
その通り動いてるだけだってことです。ただその現実があるだけです。
わかりますでしょうか。
いや、おれは意志を持って選択してるんだ、という人もいるでしょう。
その人は自分で人生に意味を与えられる人です。
流されるままに生きる人もいるでしょう。
その人は意味なんてあってもなくても良いんじゃないですか?
意味がないといけない、意味があるに違いない、なんてのは思い込みです。
たぶんそれは幸せや価値とかとはまったく違うところにあります。

人生に意味がないと生きてゆけない人もいます。
あったほうが生きやすい、つまり、楽だという人がいます。
けどその逆だってもちろんありえるんですよ。
だから生きる意味を理解しない人は、決して生きる価値がないわけではない。
決して不幸せなわけではない。
だって生きる意味を追求することは幸せなんでしょうか?
最近、そのように感じる出来事がありました。
また映画「π」にも通じるものがあると思ってます。


ちなみに、人生は「選択」か「運命」か、という話がありますね。
私たちは自らの自由意志で物事を選択しているのか?
それとも自由意志は幻想であって、実は全ては予め決まっているのか?
これに関してはまた気が向いたら書きます!
posted by Azot at 01:07 | 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年10月04日
携帯から書いています。

さっき、彼女さんと電話で長く話していた(ケンカと言っても良いかな? 苦笑)
そこで僕は途中、「同じことの繰り返しと、変化なしは違うんだ!」と言った。つまり、繰り返すことは客観的事実。しかしそれにどう解釈するかはその人しだい…そんなことを伝えたかった。

そうなんだろうか?
何年か前によく似てないか?同じことの繰り返しでしかないんじゃないか?

言い換えると、実は僕自身は何も変化がなく、それが原因となり運命的に同じ出来事を導いているんじゃないか?歴史は繰り返す。悲劇は繰り返す。全ては決定されている。

予言は暗い秘密の水のようにいつもそこにある
(海辺のカフカ / 村上春樹)

posted by Azot at 02:16 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年09月20日
夢と、現実。
またこんなことを最近考えるようになった。

とてもリアルな夢を見ることが時々ある。
リアルでない現実を感じることも時々ある。
さーて、どこに違いがあるんだろう?
僕の記憶は、リアルなんだろうか?
あの時の痛みと喜びは、本当にリアルだったんだろうか?
いったい何が現実を決めるのだろうか。
僕が感じたこと?
人が言った言葉?
この僕の脳や解釈が決めるのであれば、僕は自分の都合の良いように
記憶を切り貼りしているだけなんじゃあないか?

いろんな世界がある。

目に見える世界。
僕の頭の中にある(と思う)「過去」と呼ばれる広大な世界。
未来という世界。
妄想。
もしも、こうだったら?
あの時、ああだったら?

それら全てが、結局僕の解釈しだいなんだったら
全ては僕の夢でしかない。


時々、「人生は夢」なんだということが理解しやすいことがある。
FF10のティーダのように「キミは夢なんだよ」と言われたら
みんなどう思うんだろうか?
僕は納得できるような気がする。

----------------------------------

追記。

そんなことをあれこれ考えていたら、
「海辺のカフカ」をまた読みたくなってきた。
posted by Azot at 17:21 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年07月01日
最近読んでいた本に、ふとこういうことが書いてあった。

『客観的に見てどんなによくないところであっても、
 他人から直せと言われてもなかなか難しいですよね。
 これが、自分で直そうと気がつくと、案外直せたりするのです。
 ということは、他人の気に入らないところを直そうとするエネルギーは、
 自分がそれが気にならないように変わるのに使ったほうが
 はるかに建設的だということです。


僕にはまだまだ成長の余地がある。
posted by Azot at 01:47 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年06月13日
つい先ほど、「人生に意味はあるか」という本の感想を書いたところです。
ここには、そこにはあえて書かなかったことを書きます。
思想の果て。

本当のことを言いますと、やはり「答え」は欲しいですね。
自分自身が心底が納得できる答えが。
そしてきっとそれは何か「圧倒的な」何かだと思う。

著者がゲーテの「ファウスト」を引用している箇所について。
一つ、強く感じたことがある。

本文中にはこうある。
---------------------------

この大作のテーマの一つは、実存心理学の観点から見れば
今ある空虚を満たそうと欲望をどれほど追い求めてもその空虚は
埋まらないという問題にあります。

そう、人間とは「欲望のパラドックス」を抱えた存在なのです。


---------------------------



これに対して、僕は(そして、おそらく僕だけが)こんなことを考えた。



欲望というのは、自分が感じた、以前の刺激以上のものを求めるもの。
それは過去を回想していることと同じ。

ならば、「過去の出来事とまったく同じことは2度と起こらない」という
事実に恐怖する自分は、常に欲望が満たされない状態となるのではないだろうか?

ファウストは最後に有名な言葉
「時よ止まれ お前は美しい」
という言葉を残すけど、その瞬間彼は救われ
欲望は満たされたのだろうか。

全てが満たされた瞬間、全て止まってもいいと思える。
これこそが人生の意味なのだろうか。

ならば、僕はその圧倒的なものをいつ感じることができるんだろうか。
もし、もう"すでに感じてしまっていた"としたら?

僕は過去を超えられない。
そこに意味はあるのか?
posted by Azot at 02:17 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(2) | +思想の果て+
2005年05月26日
僕の言いたいことはつまり、簡単に集約できるのかもしれない。
ただし、以下の場合分けが必要だ。

(1) 良い思い出
もう2度と繰り返されることのないことに対する恐怖と無力感を感じる

(2) 悪い思い出
もう1度繰り返すのではないかという恐怖とトラウマを感じる

このどちらもありうる。
一見矛盾しているが、つまりはネガティブなのである。

悪いこと。それは僕の中にもともとプログラムされているもの
予言として組み込まれていて生まれてきたもの。
それはきっとまた起こるに違いない。

僕は変われない。
僕は変われない。
僕は変われない。
僕は変われない。
僕は変われない。

全ては運命により決定されていて、繰り返しながらも
2度と戻ることはない。
こうして罪は増え続ける。

意味のない自己主張も、また続く。
posted by Azot at 01:48 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年05月24日
「賢者の贈り物」という有名なお話があります。
有名なお話です。
僕は子供の時、どこかで読みました。絵本か何かかな?

一組の貧しいカップルが、相手を想ってプレゼントを与える話です。
一方は髪を切って、相手の時計を買うためのお金を作りました。
もう一方は時計を売って、相手の髪飾りを買うためのお金を作りました。


というお話ですね。思い出しましたか??
思い出せない人は→こちら もしくは、こちら を参照ください。

いろんな解釈があるんでしょうね。
ある人は物ではなく気持ちが大切なんだというでしょう。
またある人は悲しいお話だというかもしれない。

けど僕の感じたことは少し違います。
昔から漠然と感じていました。
この話はこの世界における真実を語っているんだと。
別に不幸なことだとも思わない。
暖かい話だとも思わないし、何か崇高な教えや気付きがあるとも思っていない。
物とか気持ちとか、愛とかそんな話じゃないんです。僕の中では。

単に「すれ違う」 これだけです。
恐ろしいほどにその事実を言ってるだけのようにしか思えません。
すれ違うから何かを気をつけましょうとか教訓めいたものすらない。
事実として、すれ違うんですよ。だって違う人間だから。
いいとか悪いとかそういう範疇ですらないんです。
このニュアンスは伝わるかな。。 (さらりくんならわかってくれそう…)

そう、単に事実なんです。
相手のことを思いやるがあまり、すれ違うんですよ。
いいとかダメとかじゃなくて。現にそういうことは起こりえる。

-------------------------------------

結局、世の中のほとんどは「すれ違いと誤解」です。
自分が思ってる自分と、相手から見た自分
いろんな意見がある。
その中で何が真実なのか?それを決めるのは自分自身。

僕も昔は自分の思いと周りの意見のギャップに苦しんでいました。
本当に苦しんでいました。
このBelieveというサイトを昔から見てる人は、なんとなくわかりますよね。
自分ががんばって更新したページに対して、的外れな意見をもらったり
自分が力を入れてる企画以外のところを評価されたり
そんなことは過去にいくらでもありました。
それに対してあれこれ悩みました。
自己表現の大切さについて考えたり、けどやっぱり周りの意見を尊重してみたり。
――他人は自分を映す鏡 ですからね。
けどやっぱり苦しくて。逃避してみたり。
いつしか受け入れるようになりました。
ただ単純に、自分の考えと周りの考えというのが別々にあるんだろうな、と。
それはただすれ違ってるだけなんです。


それは単に事実。
いいとかダメとかじゃなくて。現にそういうことは起こりえる。
posted by Azot at 02:42 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年05月21日
皆さんにとって、過去は過去でしかないと思うけど(意味分からん)
たぶんそれは「独今論」だと思うのです。つまり今こそが全て。

それに対して、僕は「全ては過去である」と考えます。

人間には「自由意志」というものがあります。
今この瞬間、僕らはAを選択することも、あるいはBを選択することもできる。
自分にメリットのあることを選べるし、あるいはあえてデメリットとなることを
選ぶこともできる。
それはもちろん正しいと思います。
しかし、その選択の判断自体はどこからやってくるのでしょうか?
その選択肢は、どこからやってくるのでしょうか?
今のあなたを作ってるのは、膨大な過去というデータなのです。
それはまるでタイムマシンを作るという選択をしたアレクサンダーが、
過去の出来事を原因として決意したのと同じように。

僕が過去について思いを馳せること自体、過去の出来事が原因なのです。
今、この瞬間の考えにいったいどれほどの影響を与えているのでしょう?
この、過去や記憶といったものが。

運命論というものがあります。
未来は、あらかじめ決まっているという(諦めに近い)考え方です。
僕はそれに対して、未来は過去によって決まると考えてます。
漠然と、そういうイメージを持っています。
これまでの生きてきた環境や、経験によって決まるんです。
もちろん、明日今までにないチャレンジをすることもあるでしょう。
それは今までの過去を脱するためにチャレンジするのであって
結局は過去のなせる業なのです。

前回書いた記事で、
『中島さんは「死」を恐れる。
 その理由と、僕が過去と記憶について恐怖し無力感を感じることには
 共通点があると思う。』
と書いたけど、これはどういうことかというと…
中島さんは、「死」の恐怖を通して「生」の無力さを語ってるわけです
客観的時間(宇宙の歴史とか)と比べると、自分の一瞬はなんと短いことか!と。
けど僕の恐怖はそこにはありません。
宇宙の歴史なんてどうでもよい。
問題は、僕が背負っている「過去」というデータなんです。
しかもそれは生きる限り増大する。
体験したことなのに、二度と戻れない。
捨てることすらできない。
そして自分の行動を決めたりする。

この「生きている限り増大する過去」というのがとても重要な問題で
「死」というのは「増大する過去」に押しつぶされるイメージ なんです。
あくまでイメージですが。

まだこの辺を上手く説明できません。
今日は、以上です。
posted by Azot at 02:23 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年05月18日
まったく正確な表現ではないが、永井均さんはその著書にて
「既存の哲学によらない自分自身から出た生の疑問こそが
 哲学と呼べるのである」
みたいなことを書いている。

僕の哲学的疑問は、過去と記憶にある。

いまだにこの違和感と疑問は明確にできない。
何が問題となっているのかもわからない。
しかし、がんばって言葉にしていこうと思う。

----------------------------

■なぜ、過去を変えられないのか

これが最初の疑問。
可能かどうかはともかく、果たして本当に僕の疑問は
ここにあるのだろうか。
過去を「変える」とはどういうことか。
嫌な思い出、失敗、後悔などを「無かったことにする」ことなのか?

まるで映画「ドニーダーコ」のよう
http://www.donnie.jp/
ヒロインは「過去の嫌な思い出を、良い思い出に変えることができれば…」と言っていた。

つらい体験をした後でよく「忘れたい」という願望を持つことがあるが
「忘れる」ことは本当に可能なのだろうか?
忘れてしまう。無かったことになる。これらは真の無になるということだ。
初めから後悔する自分や、原因や、消したいと思う願望も
その何もかもが無かったということではないか。

もし仮に嫌な思い出が良い思い出に変わったとすると
嫌な回想そのものが消滅する。
記憶をなくしたその人は、もはや別人ではないか。

記憶こそがその人を作る。
記憶こそがアイデンティティ。
記憶こそが全て。

漠然とであるが、僕はその考えにとりつかれているようだ。


■なぜ、過去に戻れないのか

どうやら真の疑問は、こっちらしい。
過去に戻ると、果たしてどんな良いことがあるだろう?
楽しい思い出を何度も体験することができる。
しかし現実にはそうではない。
良いことも、悪いことも、全てはたった一度しか起こらない。
そして全ては過去になる。言語化された記憶となる。

繰り返せない出来事に、体験するほどの価値なんてあるんだろうか?
全てはたった1度きりの体験を通して過去になる。
そしてどんな出来事も、いずれ過去となる。
2度と戻れない。


最後の疑問は、これ。

■なぜ、誰もこれを疑問に思ったり、恐れたりしないのだろう?

哲学、それも時間論についていくつか本を読んできたが
このことを問題として扱ってるものが存在しないのはなぜだろう?
(これほどまでに恐ろしい問題なのに)
唯一、近いと思うのは中島義道さんで、中島さんは「死」を恐れる。
その理由と、僕が過去と記憶について恐怖し無力感を感じることには
共通点があると思う。


また気が向いたら考えを深めます。
posted by Azot at 02:03 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年05月09日
僕は昔からずっと「相手の気持ちを理解するには?」なんて考えてました。
気持ちなんて見えないけど、それをがんばって理解したり、認めたり、受け入れたり
することが重要なんだと考えていました。
もちろんそれも重要なんですけど…それ以前の問題があるってことに気付いたんです。

それは、「相手の要求に応えられること」

見えない気持ちではなく、確かに聞こえる相手の言葉や見て分かる態度に
僕はどれだけ応えることができているんだろう?
そりゃ100%は無理です。けど、できる範囲でのベストを尽くしているんだろうか?

想像してみてください。
あなたが困ったとき、悩んでいるとき、なんとなくヒマなとき、
とても楽しいものを見つけたとき。興奮してるとき。
それを伝えられる人がいますか?

僕の欠点の一つは、自分のやるべきことを決めすぎていて
相手の要求を後回しにしてしまうことでしょうね。
けど、僕からすれば後回しでもいいことでも、相手にとっては今しかない。
だって後でもいいなら別に今言わないから。

「そんなの理想に過ぎない」
って思うでしょう。
けど、これこそが人から好かれる秘訣だと思いませんか?

逆になって考えると、頼れるって思うし、ありがとうって思うし。
他人は自分を映す鏡なんです。
もっとこの目と耳を使って外を見なければ。
まず大切なのは心で感じるとかじゃない。
posted by Azot at 17:33 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+
2005年04月16日
夢から覚めて 全てのこと元に戻れば..
届きはしない記憶の中 鍵を探している

あの時には戻れない
過ちさえ 戻せない

あの時には帰れない
過ちさえ 戻せない

あの言葉を伝えたい
あの言葉を伝えたい
(LunaSea / Precious..)
posted by Azot at 21:19 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | +思想の果て+

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